「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(第二 テモテ4:2b)。私たちはひとり一人、このみことばに出来ることから応えて来ました。もう一歩前進する応答のために、パウロたちが、ピリピ伝道で出会った出来事から教えられたいのです。
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1.まず、私たちひとり一人が、神のご計画、みこころ、みことばに聴き従い、行う者であることです。神に従う者の姿を示すことです。
(1)この出来事は、パウロが「遠く、異邦人に遣わされた」(22:21)使徒として神のご計画に従ったゆえに出会ったことでした。
(2)パウロたちは、主イエスを宣べ伝えたゆえに何度もむち打たれ、投獄され、足かせを掛けられ拘束されます。しかし、十字架の主イエスのゆえに耐え忍びます(23、24節)。看守は、感じ取っています。
(3)この状況の中で、パウロたちは、なお神に祈り、讃美し、生けるまことの神を証します(25節)。囚人たちは聴き入ってます。
2.宣べ伝える対象を良くみつめ・見守る中から、その必要を見い出し、なすべき行いが示され、隣人を愛する行動が起こされます。
(1)「剣を抜いて自殺しようとする」(27節b)看守を鋭く、深く見つめ、見守ります。
(2)「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」(28節)。ほんとうの必要に鋭く切り込んで起こされた言葉による行動です。看守は自(みずか)らに危害を加えることを思いとどまります。愛の心による、愛の行いが祝福された瞬間です。
3.宣べ伝えている対象が、心を開くまで愛の行いを続け、心を開くときに、問われる中で(29、30節)、初めて”主イエスと主イエスのことば”を語ることではないでしょうか(31、32節)。
言葉だけで”主イエスと主イエスのことば”を語ることは慎重であるべきことを教えているのではないでしょうか。
<結び>
ヨハネ9:35〜38