仕事を霊的な分野と世俗的な分野で分ける傾向があります。人生の大半を過ごす職場が「世の仕事」に属するなら、
「仕事自体」に、一体どんな意味があるのでしょうか?宗教改革者のルターは、職業が単なる労働ではなく、神の召命であることを宣言しました。職業とは、神
に召され、命じられた仕事であり、神から委任された任務であることを強調しました。
ヨセフは若くして奴隷としてエジプトに売られ、職業を自分で選べず、全ての夢が打ち砕かれました。しかしヨセフには、神との関係が優先順位の第一でし
た。神との関係が仕事にも反映し、ヨセフの仕事は卓越していました。罪の誘惑を拒絶した代価として、ヨセフは投獄されますが、牢獄の中でもヨセフは更に神
様との関係を深め、神と共に牢獄で過ごしました。ヨセフの霊性は仕事に現れ、考えうる最悪の条件下で、経営学の授業を修め、その後の大国エジプトの総理大
臣の重責を、パロや家臣の信頼を集めながらやり遂げることができました。彼は、パロからの信頼を得る前に、神からの信頼を得ていたのです。
聖書では、「仕事」の意味を持つ言葉が、神に仕える祭司たちの仕事にも、奴隷たちの仕事にも区別なく使われています。聖書には、仕事に聖俗の区別はな
く、どんな労働、仕事も、神の国では大切に扱われます。私たちの全ての仕事に、神は召命を与えてくださっているのです。問題は、私達が神からの召命感を見
出しているかです。その職場で、神と共に歩んでいるかです。