2016年7月24日
 創世記 39章1〜23節
題目 「仕事!どんな意味が?」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 仕事を霊的な分野と世俗的な分野で分ける傾向があります。人生の大半を過ごす職場が「世の仕事」に属するなら、 「仕事自体」に、一体どんな意味があるのでしょうか?宗教改革者のルターは、職業が単なる労働ではなく、神の召命であることを宣言しました。職業とは、神 に召され、命じられた仕事であり、神から委任された任務であることを強調しました。

 ヨセフは若くして奴隷としてエジプトに売られ、職業を自分で選べず、全ての夢が打ち砕かれました。しかしヨセフには、神との関係が優先順位の第一でし た。神との関係が仕事にも反映し、ヨセフの仕事は卓越していました。罪の誘惑を拒絶した代価として、ヨセフは投獄されますが、牢獄の中でもヨセフは更に神 様との関係を深め、神と共に牢獄で過ごしました。ヨセフの霊性は仕事に現れ、考えうる最悪の条件下で、経営学の授業を修め、その後の大国エジプトの総理大 臣の重責を、パロや家臣の信頼を集めながらやり遂げることができました。彼は、パロからの信頼を得る前に、神からの信頼を得ていたのです。

 聖書では、「仕事」の意味を持つ言葉が、神に仕える祭司たちの仕事にも、奴隷たちの仕事にも区別なく使われています。聖書には、仕事に聖俗の区別はな く、どんな労働、仕事も、神の国では大切に扱われます。私たちの全ての仕事に、神は召命を与えてくださっているのです。問題は、私達が神からの召命感を見 出しているかです。その職場で、神と共に歩んでいるかです。
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