2016年7月10日
 マルコの福音書 1章1〜8節
題目 「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

はじめに
 著者マルコはペテロ、パウロ、いとこのバルナバといった偉大な伝道者と深い関わりを持っていた。マルコはペテロの説教の通訳者、解説者として主イエスの物語を、パウロからキリストの福音とは何かを、聞き続けた。それらの内容をもとに文書にしたものがマルコの福音書。

1.イエスキリストの福音
 1節は全体のタイトルでもある。福音=よい知らせ。当時のローマ皇帝は神格化されていた。しかし「ローマ皇帝よ、このイエス・キリストこそ神の子、子なる神そのものです。」
この大胆な書き出しは、絶対的権威権力を持ち神格化されたローマ皇帝に挑戦する、信仰告白そのものであった。
「神の子イエス・キリストの福音」―これを聞く者、読む者は、イエス・キリストが神であるか否かの決断を迫られる。どっちつかずは許されない。

2.バプテスマのヨハネ
 福音とは、まず悔い改めが先に来る。それは、今までの歩みが間違っていました、といって向きを変えて神へ帰ること。洗礼を受けるとはそういうこと。古い 自分に死に、神に生きる。めぐみの契約に入れられること。罪を悔い改め、罪に死に、キリストとの新しい関係に入る。そこに洗礼の意味がある。

3.恐れず福音を伝えよう
 日本の教会やクリスチャンは、少数派であることを恐れることはない。むしろ少数者の中に選ばれていること、救いに選ばれていることに感謝したい。人々は あらゆる地方から、交通手段もない荒野に何日もかけてやってきた。霊的飢え渇きをもって神を求める人々がいつの時代にも、どこにも必ずいる。あきらめず、 主に期待し、福音を伝えよう。
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