2016年7月3日
 マタイの福音書 28章19〜20節
題目 「人生のゴール」
岡野 俊之 牧師

説教(奨励)要旨

 私たちは、1986年に、千葉県松戸市で、教会開拓に取り組み、3年間で30名くらいが救われましたが、1990 年につぶれてしまいました。伝道集会、映画会、家庭集会、英会話教室など、良いと思うことは、何でもやりました。朝早くに、駅でチラシを配り、夜十時頃ま で、英会話教室で、福音を語りましたが、救われる人が起こされても、礼拝は、15人くらいにしかならず、次々と人が去って行き、崩壊してしまったのです。 純粋に人の救いを願い、大きな犠牲も払っていましたが、主が、何を求めておられるのかを考えもしませんでした。私たちは、どこに向かっているのか、ゴール がわからないと、今何をどうしたらいいのかがわかりません。復活されたイエス様が、召天される前に、弟子たちに言い残されたみことばは、私たちの目指すべ きゴールを、明確に示しています。イエス様は、ただ、行って伝道しなさいと言われたのではなく、弟子とするようにと命じられました。イエス様の弟子とな り、弟子を生み出していく。これが、イエス様が私たちに与えてくださったゴールです。
 
 弟子とは、イエス様の弟子ですが、それは、イエス様を信じただけではなく、イエス様のすべてのみことばを守り行なう人です。私が、以前考えていたのは、 伝道して救いに導き、洗礼を授け、礼拝や祈祷会に出席することを教え、洗礼を受けた人が、献金を忠実に捧げるようになり、教会の集会行事で奉仕するように なれば、りっぱなクリスチャンということでした。しかし、イエス様は、弟子とすることを命じられたのです。伝道して多くの人を救いに導いたら弟子となった と言えるということではありません。信徒リーダーとして、奉仕が出来るようになることが、弟子となるということでもありません。イエス様を愛する人、すな わち、イエス様のすべてのみこ とばを守る人が、イエス様の弟子です。
 
 私たちは、みことばを守る事をしないで、いくら何かを頑張っても、うまくはいきません。家族を愛することを忘れ、教会で、批判したり、さばき合ったりし ていると、何をいくら頑張っても、うまくはいかないのです。反対に、あれこれ頑張らなくても、イエス様の弟子となり、弟子として生きるならば、イエス様に 愛され、何をしても、祝福されます(ヨハネ14:21)。願うことは、何でも聞いていただけます(ヨハネ15:7)。
 
 私たちは、今から21年前に、今の教会を開拓しましたが、自宅のリビングで始めました。当時、長男が小学生で、次男が幼稚園児でした。今回の開拓は、以 前と違って人集めはしないで、みことばに生きることに努めました。妻を愛し、夫に従い、子どもを愛し、子どもの友だちを愛しました。息子の幼稚園の友だち のお母さんが、病に頼れて入院してしまったので、その子を預かって、朝夜ご飯を食べさせ、幼稚園の送り迎えをし、夜その子のお父さんが会社から帰って来る 頃に家に送り、また次の朝にその子を家に連れて来て、そのように4ヶ月間お世話をしました。それを見聞きしていた一人の婦人が救われました。聖書は、隣人 を愛せよと教えているので、近所の人や幼稚園のお母さんたちを愛したり、学校の役員を引き受けて仕えたりしました。そうしている中で、息子の友だちのお母 さんたちが救われ、学校の担任の先生が救われたりしました。
 
 イエス様が、私たちに望んでおられるのは、何かを頑張ることではありません。開拓を始めた頃救われた姉妹たちに、弟子となる学びをしたのですが、一人の 姉妹は、夫がお酒に溺れて、借金を作ってしまう人でした。そのような悩みの中で、救われて、一緒に弟子となる学びをするようになったのですが、なかなか、 みことばを守ることができませんでした。愛せよと教えられたのに、夫が酔って夜遅く帰って来ると、ついつい責めてしまうのでした。彼女は、みことばを守れ ないと言って、泣きました。それを聞いていた姉妹たちも、泣きました。そして、彼女がみことばを守れるように助けてくださいと、祈ってあげました。しばら くして、彼女は、ディボーショ ンで、自分が夫の助け手として造られたと教えられました。それから、彼女は、変わりました。夫が、酔って、遅く帰って来ても、責めるのではなく、「きょう もお疲れ様」と言って、肩をもんであげたりするようになったのです。しばらくして、夫が、突然教会に行きたいと言い出し、彼女と一緒に教会に行き、福音を 聞いて救われました。それから、仕事が終わると、まっすぐ家に帰って来るようになりました。彼女は、みことばに従って、夫を愛しただけです。夫を、礼拝に 誘ったわけでもなく、ただ愛しただけです。みことばに生きると、夫婦の関係も、親子の関係も、驚くほど変わります。
 
 主は、みことばを守る者を特別に愛して、祝福してくださいます(ヨハネ14:21)。みことばに生きる人たちは、自然に、実を結ぶようになります。能力 の問題ではありません。性格や人柄の問題でもありません。私たちのように、過去が、祝福されないような歩みであったとしても、みことばに生きるのならば、 だれでも、どんな人でも、何をしても、栄える人になっていくのです(詩篇1:2〜3)。
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