2016年6月5日
 使徒の働き 26章9〜23節
題目 「キリストをあかしする」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 私たちは、イエス・キリストを信じて救われました。しかし、私たちの周りの人たちは神を知らず、空しい人生を送っ ています。しかもその行き着く所は、永遠の滅びです。そのためには、誰かが救い主を伝えることがどうしても必要です。私たちも誰かに伝えてもらいました。 あなたは、誰に救いを知ってほしいでしょうか?

・あなたは誰かの救いのため、必要とされている人です。(ヨハネ3:16)
・神の御心は、すべての人が救われることです。(第一テモ2:4)
・人はキリスト信じるなら救われます。(ヨハ1:12、ロマ10:13) 
・しかしそのためには、キリストを伝える人が必要です。(ロマ10:14)
・十字架の言葉は、神の力です。(第一コリ1:18、15:3〜4)

 キリスト信じ、救われた人は、キリストが救い主であることの証人であり、あかしびとです。私たちがキリストをあかしし、それを聞いた誰かが救われるな ら、それは本当に素晴らしいことです。パウロはいつでも、どこでも、どんな時でも、チャンスがあればイエス様が救い主であることをあかししました。パウロ は驚くべきことに自分の裁判の席でも、神を知らない人々にキリストの救いをあかししました。私たちも難しく考えず、「自分がどのようにして救われたか」を 単純に話すことによって、イエス様を伝えることができます。
 パウロのあかしは 1、救われる以前(使徒26:4〜11) 2、キリストとの出会い(12〜18) 3、キリスト信じた後(19〜23)でした。パウ ロはキリストに狂っていると言われるほど、ただキリストだけに関心を持っていました(使徒26:24)。彼の人生すべてがキリストでした(ピリピ1: 21)。
 もしクリスチャンが何もしなくても、神が選ばれた人を自動的に救われるなら、パウロの伝道や、私たちのあかしは意味がありません。大切なことは、私たち 人間の証を、伝道を、神が用いて人を救いに導かれるということです。私たちができる精いっぱいの証しをし、伝道をし、熱心に祈り続け、その上で主の主権に ゆだねるとき、神は人を救いに導かれるのです。
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