罪とは「律法に逆らうこと」(第一ヨハネ3:4)であり、言い換えれば、神のみことばに従わないことです。アダム
の罪とは、みことばに背いたことです。ノア(創世6:22、7:5)やアブラハム(創世22:2、9-12、16-18)やモーセとアロン(出エジプト
7:6)は主が命じられたその通りにみことばに従いました。ヨシュア記は「勝利の書」と言われるように、どのような時にも神の命令を守り行うなら栄え、祝
福された時代でした(ヨシュア1:7-8)。
一方、士師記は「失敗の書」と言われますが、神のことばを無視し、背き続けた最も暗い時代でした(士師21:24-25)。
みことばに聞き従わない礼拝は、主が忌み嫌われる占いや偶像の罪と同じです(第一サムエル15:9-11、22-23)。礼拝とは、神のみことばに聞き従うことがその本質です。一つでもみことばに従わないなら、すべてを犯したことになります(ヤコブ2:10)。
みことばへの従順は千代にわたる恵みをもたらすのです(出エジプト20:6)。試練の時こそみことばに従うかどうか、その人の心の内が全部現れてしまう
のです(申命8:2-3)。みことばに従わなかった信者も天国に入れますが、その報いは最小限です。しかしみことばに従った信者は、天国では皆から尊ばれ
称えられます(マタイ5:19)。
キリストへの愛はみことばを守ることによって現れ、その人は父と子に愛されます(ヨハネ14:15、21)。キリストはその者を友と呼んでくださいます
(ヨハネ15:4)。キリストは父のみ心に完全に従い、私たちに模範を示されました(ピリピ2:8)。みことばに聞き従う人は、何をしても栄えます(詩編
1:1-3)。