2016年3月13日
 ヨハネの福音書 6章48〜58節
題目 「主イエスの晩餐」
高橋 善樹 先生

説教(奨励)要旨

 使徒ヨハネも最後の晩餐の記事を書いています。ところが、その晩餐で主イエスが、食卓のパンと杯を用いて、救いの契約をされたことを記していません。
 実は、ヨハネはこの大切な出来事を別の所で生きいきと伝えています。使徒ヨハネに啓示された主イエスの聖餐から教えられてまいりましょう。

                   *

1.主イエスの聖餐の意味をさらに確かなものにされたいのです。
(1)私たちの身体(生命)が、日々の糧(食物)によって養われ、支えられ、守られているのと同じように、私たちのたましい(あるいは、永遠のいのち)を 支え守る唯一の霊的な糧は、主イエスご自身です。この主イエスとの交わり(=その肉を食べ、血を飲む=聖餐)において、天の父は、その霊的な糧をくり返し 補給してくださる。これが、主イエスの聖餐です。

(2)パンと杯は、(a)主イエスの十字架の贖い(=裂かれた肉と流された御血)と復活のいのち(=永遠のいのち)を養う糧(かて)を表し、さらに(b) 主イエスが差し出された救いの約束(契約)を表しています(とくに御血。マルコでは14:24)。また、食べる、飲む行いは、主イエスであるそのパンと杯 を受け入れる、信じることであり、この主イエスと交わり、主イエスとひとつに結びつく事を表しています。結びつくだけではなく、主イエスの贖いといのちと が私たちに移され、私たちのもとになることを意味しています。こうして私たちは、救われているのです。

(3)私たちは、聖餐に与(あずか)って救われるのではなく、救われているから聖餐を守り行い、救いを確信し続けているのです。ですから、主イエスの救い の契約を信じない人が、食べ、飲んでも何の益もなく、かえって、尊い主イエスの体と血に対して罪を犯すことになります(第一コリント11:27)。
 私たちは、主イエスの聖餐を大切にして守り続けてまいりましょう。

2.生活の只中で主イエスの聖餐を覚えたいことです。
 ヨハネは、主イエスの聖餐の最も大切なところ(本質)を5000人への給食(6:5-13)の中の11節の出来事を受けて記しています。
 主イエスは、聖餐を、食事をするという生活の只中の出来事とされたのです。食事のたびに主イエスの聖餐を覚えたいのです。高齢化していくこの国にあって”まことのキリスト者に「弧食」なしです”。

<結び>ローマ書6:4-5。
このウィンドウを 閉じる