2016年2月7日
 ルカの福音書 15章25〜32節
題目 「失われた二人の息子」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 イエス様のメッセージは、この二人共に父親に背を向けていたということである。遊女に溺れていた息子が宴会で楽し み、戒めを破ったことのない息子が父の祝宴に入ろうともしない。兄が宴会に入らなかった理由は、その正しさゆえだった。兄と父を隔てている壁は、彼の罪で はなく、彼が正しすぎたからである。兄は弟と同じくらい父に内心反抗していた。二人共に父から遠く離れ、つまり失われていた。
 長年神のため尽くしてきたのだから、神はもっと良い人生を与えてくれるはずだ。神にこんなに一生懸命仕えているのだから、神は私を助け、祝福すべきだ、 という時、あなた自身があなたの救い主になってしまって、イエス様は救い主ではなくなっている。イエス様ではなく、あなたの正しさがあなたの救い主であ る。
 二人は対照的だが、その根底は同じ動機だった。父の愛ではなく、富を追い求めていた。父ではなく富が自分を幸せにすると考えた。
 弟は、父から離れた生活を送ることによって、父との関係に本当の喜びを見出すことができた。しかし兄は、宴会に招かれたにも関わらず、その本心をむき出 しにし、父を傷つけ、拒絶した。道徳的基準を守る人も、全く守ろうとしない人と同じくらい、霊的に失われた存在になりうる。
 二人の息子は共に間違った歩みをしていたが、父は二人共に愛し、二人共に喜びの祝宴に招き続けた。福音においては、全ての人が間違っていて、全ての人が失われていて、全ての人が愛され招かれている。
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