イエス様は、「ある人に息子がふたりあった」と話し出された。このたとえ話は弟だけでなく、兄についても、また父親についても語られている。実は、兄についての重要なメッセージが込められている。このたとえは「失われた二人の息子」と呼ぶことがふさわしい。
イエス様の話を聞きに来ていたのは二つのグループで、一つは「取税人、罪人たち」(15:1)の弟タイプだった。彼らは聖書の戒めも儀式も行わない、自
由奔放なライフスタイルの人々だった。もう一つは「パリサイ人、律法学者たち」(15:2)で、聖書を学び、その教えを守り、礼拝と祈りをささげていた、
兄タイプの人々だった。
このたとえは「自由奔放な罪人」に対してよりも、「聖書の教えを守る信仰者」に向けて語られている。自己義認によって、自分と周りのたましいをどれほど
むしばんでいるか。イエス様は兄の道徳的、倫理的生活に最も非難を向けている。罪深い弟と正しい兄、どちらも父親に背を向けていた。弟も兄もどちらのタイ
プも、霊的には神から失われた存在である。
イエス様は、罪とは何か、失われる、また救われるとはどういうことかを、まったく新しい視点で説明し直している。