2016年1月24日
 ヨハネの黙示録 3章19〜22節
題目 「教会の主」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

1.教会の外で戸をたたかれる主
 ラオデキヤ教会は、イエス様がご自分の教会に入れず、外から戸をたたかれる、そんな教会だったようです。教会がイエスさまを外に出し、イエス様をぬきにして、いろいろなことが教会において決められ、行われてしまう。そのような様子をもあらわしているのでしょう。
 そして戦時中の日本の教会も、イエスさまだけをただ一人の「主」とせず、天皇をも「主」としてしまった過去を持っています。

2.悔い改めよう
 悔い改めとは、向きを変えること、思いと行いとを変えることです。「これからは、もう二度と罪を犯さないことです。」(ヨハネ8:11)とのイエス様の ことばに心から従うことです。二度とふたたび同じあやまちを犯さない覚悟で、向きを変え、イエス様に喜ばれる行いをすることです。

3.イエスさまだけを主とあがめよう
 私たちの教会は、イエス様が本当に「主」となっているのでしょうか。もしそうでなければ、「あなたの燭台をその置かれた所から取りはず」(黙示2:5)されます。
 教会はイエス様の花嫁であり、イエス様は教会のためにその身をささげられました。それは栄光の教会を、やがてイエス様の前に立たせるためです。ですから花嫁である私たち教会は、そのことを深く信じ、イエス様だけを愛し、ただ一人の主人として心から従ってゆきましょう。
 「ただ心の中でキリストを主とあがめなさい」(第一ペテロ3:15)
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