1.教会の外で戸をたたかれる主
ラオデキヤ教会は、イエス様がご自分の教会に入れず、外から戸をたたかれる、そんな教会だったようです。教会がイエスさまを外に出し、イエス様をぬきにして、いろいろなことが教会において決められ、行われてしまう。そのような様子をもあらわしているのでしょう。
そして戦時中の日本の教会も、イエスさまだけをただ一人の「主」とせず、天皇をも「主」としてしまった過去を持っています。
2.悔い改めよう
悔い改めとは、向きを変えること、思いと行いとを変えることです。「これからは、もう二度と罪を犯さないことです。」(ヨハネ8:11)とのイエス様の
ことばに心から従うことです。二度とふたたび同じあやまちを犯さない覚悟で、向きを変え、イエス様に喜ばれる行いをすることです。
3.イエスさまだけを主とあがめよう
私たちの教会は、イエス様が本当に「主」となっているのでしょうか。もしそうでなければ、「あなたの燭台をその置かれた所から取りはず」(黙示2:5)されます。
教会はイエス様の花嫁であり、イエス様は教会のためにその身をささげられました。それは栄光の教会を、やがてイエス様の前に立たせるためです。ですから花嫁である私たち教会は、そのことを深く信じ、イエス様だけを愛し、ただ一人の主人として心から従ってゆきましょう。
「ただ心の中でキリストを主とあがめなさい」(第一ペテロ3:15)