ラオデキヤ教会の信徒たちは、霊的高慢と、生ぬるい信仰生活によって、主を戸の外に立たせてしまった。彼らは、形
式的な礼拝は欠かさずに捧げていたが、礼拝をお受けになるお方との人格的交わりには全く無関心で、自分たちの主を自分たちの生活から完全に締め出してし
まっていた。ラオデキヤの信徒たちが、再び主を心の真ん中に受け入れるためには、第一に悔い改めが必要であった。それは、心の高慢に対処するものであっ
た。第二に生ぬるい態度を一掃し、熱心に主を慕い求めることであった。悔い改めと熱心は、心の戸を再び開いて、主を心の王座に迎え入れるためにぜひ必要で
あった。
3種類の人
1.心にキリストを受け入れていない人(エペソ2:1-2)
キリストを人生の主人として認めない。イエス様は心の外に立っておられる。
2.肉に属するクリスチャン(第一コリント3:1-3)
イエス様を心に受け入れはしたが、心の王座には自分自身が座っていて、自分自身が自分の人生の主としてふるまっている。主権をイエス様にお渡ししていない。
3.御霊に属するクリスチャン(ガラテヤ2:20)
自分の人生の主としてイエス様を受け入れ、イエス様の主権を認め、その主権のもとに生きている人。
あなたの心の中では、主はどのような位置におられるだろうか?戸の内だろうか、外だろうか?私たちが心の戸を開くならば、主は私たちの心の内に来られ、私たちと親しく食事をしてくださる。その時に、私たちの人生がますます豊かになり、幸福になる。