2015年12月6日
 申命記 8章1〜6節
題目 「キリスト者の訓練」
高桑 照雄 牧師

説教(奨励)要旨

 苦しみを通して 、神様はクリスチャンの人格を訓練される。

・訓練の目的は、
 私たちをへりくだらせるためである。(2)
 私たちがみことば通りに生きる者へと造り変えるためである。(3)
 私たちが祝福を受けるための準備である。(16)

・愛の神は、
 愛する者を理由もない苦しみの中で放っておくわけはない。
 苦しみも神の摂理の道具であり、信じ従う者に必ず良い結果をもたらす。

・ヨブは、
 財産、子供たち、健康のすべてを失い、最愛の妻からも「神を呪って死になさい」と絶望的な言葉を投げつけられた。(ヨブ1章)
 しかしヨブは、すべての事を御心のままに行う神の主権を認め、何一つ恨みごとを言わなかった。

・エレミヤは、
 先の見えない苦難の中で、神の恵みとあわれみを思い返した。(哀歌3:3:19-23)
 非常にまれにではあるが、エレミヤのように天国を祝福として受けるため、一生涯苦難の道、失敗の連続のような人生を通される人もいる。

苦しみは、私たちにみことばのまことの意味を悟らせてくれる。(詩119:67,71)
苦しみをも用いて、神は私たちに最善を成し遂げられる。(ロマ8:28)
苦しみを通されることによって 、私たちは他人の苦しみを理解し、慰めることができる。(第二コリ1:3-4)
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