94篇までは神への信頼と神の哀れみと助けを求める祈りが歌われ、それに対する神の応答の歌です。作者が体験した神の応答と未来への約束は十分でした。
ですから、感謝して、生活や地上の患いをかなぐり捨てて、賛美しつつ神の前に進みましょうと呼びかけるのが95篇です。95篇から100篇まで、天地の創造者を讃える歌です。
この呼びかけの言葉は、礼拝の頌詞としてよく用いられます。賛美を失い闇に埋もれないよう私たちは日ごろの生活から解放されて呼び出される必要があります。
1-2 主に向かって。救いの岩に向かって。
3 大いなる神に。
4-5 大地、海やまの所有者は誰か。神とは何ものなるか。
6 私たちは小なるもの。神は伏して拝むべき方。
7 しかし、この恐るべき方は私たちの神。私たちの羊飼い。私たちはその牧場の小羊。
8-11 神を人の生活下で埃や塵に埋もれさせ神はいるのかいないのかという試みを起こさせる。
人の欲望に仕えさせる偶像化こそ、出エジプト17章1-7節の出来事であった。94篇までのダビデには罪の記憶の中では闇に泣くも、95篇では、「喜びよ。今日は」なのです。