主が私たちに下さった約束は、天の都です(10)。信仰を持っても、どうしてこんなに苦しくつらいのだろう、と思
う時があります。しかし信仰とは、主が設計された天の都を信じることです。私たちが生きているこの世がすべてではなく、死んでから行く主の国こそ永遠に続
くのです。
アブラハムは、子供のことで生涯苦しみました。ハガルに産ませたイシュマエルの事件は、悲しい傷でした。しかしそれらの苦しみを通して、やがて彼は信仰の父と呼ばれたのです(ロマ4章)。
地上では、心おきなく苦労しましょう。苦労も私たちの体とともに、やがてみな消え去ります。主の目的は、私たちが地上の命に執着せず、天国を見上げさせることです。たとえ今苦しくても、「主が私の信仰を整えてくださっている」と思えばいいのです。
私たちは、天国を目指して歩む旅人です(13)。信仰とは、主の約束を遠く見つめ続けることです。信仰とは、現在を見て生きることではありません。未来
を見つめ、約束を見続けて生きることです。さらにすぐれた故郷、主が準備されている故郷に向かって、苦しくても、つらくても歩み続けるのです。