1.すべてのクリスチャンは、キリストの弟子になることが期待されている。(マタイ28:19〜20)
2.イエス様は、ご自分についてくる「群衆」に対して、「弟子」になるためには、財産(33)、家族や自分の命(26)よりもイエス様を愛し、自分の十字架を負って従うことを求められた。(27、マタイ10:37〜39)
3.主の弟子になることは人生をかけるものであるから、前もっての計算、十分な覚悟が必要である。(28〜32)
4.「私についてきなさい」との言葉に従い、どこまでもイエス様に従ってゆく者がイエス様の弟子である。群衆としてとどまっているうちは、弟子ではない。「群衆」の立場から一歩前に出て、「弟子」の道を歩み出そう。
5.「弟子としなさい」(マタイ28:19)。弟子とされる事は、私たち一人一人だけでなく、泉教会の使命である。