ローマで十字架刑は最も悲惨な死刑方法で、最も凶悪な犯罪を犯した、最も軽蔑される人々の死刑方法であった。それを口にすることさえ避けられた。またユダヤでは、神に呪われた者の死刑方法と考えられた(申21:23)
主イエスが十字架で受けられた苦しみの本質は、父なる神の呪いを受けられたことであった。全身が裂かれるかのような苦しみよりも、父との関係が完全に立
ち切られたことにあった。神は主イエスを呪われ、捨てられた。私たちが本来受けるべき呪いと苦しみを、主イエスが代わってすべて受けられた。これによって
彼を信じ、より頼む者の受けるべき刑罰は一切なくなった。十字架の苦難が私たちを救った。
人間の側から神に至ろうとする試みは、成功することはない。ただ神の側からだけ、ご自分の怒りを解決されることによって、その道は開かれる。父なる神
は、ご自分のひとり子を犠牲にされることによって、そのことを完成された。神殿の幕が、下からではなく、上から裂けたのは、それを象徴している。