パリサイ人たちは良いことを悪い目的のため、自分を正当化するために使った。彼らの自己正当化は、自分を義人とし、他人を見下すもの。しかし神は自分を正当化するものを低くし、罪を自覚し主に憐れみを請うものを高くされる。
それは教会にも見られる(黙示3:1-3)。サルデスの教会は、良い行いによって評判を得ていたと思われる。しかし主イエスはサルデス教会に「あなたは、死んでいる」「あなたの行いは、神の前で全うされていない」と言われた。
自分を正当化することは、最も正しい人にも見られる。ヨブは自分を義とした(ヨブ29:14)。友人たちも、自分を義とするヨブに語るのを止めた(ヨブ
32:1)。神はヨブに「自分を義とするために、わたしを罪に定めるのか」(ヨブ40:8)と言われた。最も正しい人も、なおそのプライド、高慢、自己を
正当化する罪が砕かれなくてはならない。
自己正当化は、クリスチャンが成長することを一番妨げる。遊女のほうが、自分を正当化している生活を過ごしている人よりも、はるかに悔い改めやすく、天国に入りやすいとイエス様は言われた。(マタイ21:31、ルカ7:37-50)
「義人はいない。一人もいない」ローマ3:10