パウロは、この手紙の15:13まででローマ教会に教えるべきことを語り終え、終わりのあいさつに入ります。その
中で、ローマ行きを含めた今後の伝道計画を明らかにします。そして、ローマ行きと、その前に、エルサレムの教会に行く計画のために祈ってほしいと願いま
す。パウロがローマ教会に願った祈りから、祈りについて教えられたいと思います。
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1.「ともに力を尽くして祈る」(30節)とはどういうことかを教えられたいのです。
「ともに力を尽くして祈る」ことは、”ともに熱心に祈る”こと、”祈りにおいてともに戦う”ことでした。エルサレム行きとローマをたずねることは、パウ
ロが、自分一人では、負い切れない、戦い切れない程のものでした(31節、32節)。ただし、パウロは、ローマ教会への「ともに力を尽くして祈る」切なる
お願いに、3つのことを添えていることに注目したいのです。
(1)イエス様の十字架と聖霊のとりなしを覚え、イエス様の御名による祈りを神様は聴かれ、応えられること(30節冒頭)、(2)祈るべきことが具体的
であること(31、32節)、(3)パウロの願いや計画ではなく神様のみこころ(ご意志)にパウロが近づくためにパウロ自身の戦いを支えるものであること
(「私のために・・・神に祈ってください」30節b)。私たちの祈りにおいても活かしてまいりましょう。
2.ゲッセマネの園での弟子たちの場合(マルコ14:32-41)を私たちのこととして覚えたいのです。
イエス様は、十字架に架かられる直前、祈りのためにペテロ、ヤコブ、ヨハネをゲッセマネの園に連れて行かれたのでした。ともに力を尽くして祈り、祈りにおいてともに戦ってくれることを願ってそうされたと思われます。しかし、3人の弟子の祈りは、眠りにかき消されます。
私たちにも、ともに力を尽くして祈るべき祈りがありますが、この弟子たちを裁くことの出来ないような現実はないでしょうか。しかし、私たちには希望があります。ローマ書5:5です。
<結び>私たちの心に注がれている、聖霊による神様のご愛に唯一の希望をおき、ともに力を尽くして祈ってまいりましょう。