現在の日本にはひところの明るさがありません。何かよどんでいるように思えます。
ペテロたちが世を去るのも近い64年にローマの大火が起こります。66年5月にユダヤ戦争が始まり、最終的にはテトス将軍によってエルサレムの神殿70
年に破壊されます。こうした、地中海世界の大変動期の中で、ペテロやパウロはこの迫害下の激動期に生きるキリスト者たちに何を与えようとしたのでしょう
か。
その答えの中心的確信がこの2章2節にある言葉です。「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、御言葉の乳を慕い求めなさい。」がそれでした。
生まれたばかりの赤ちゃんは純粋な乳が必要です。少しの混じりけあってもお腹をこわします。当然でした。「それによって成長する。」のであり、最終的な
救いのためです。母親の乳です。母親が健康であるように夫は守る必要があります。母親は本当の平安の中で乳を与えるべき。心と精神と霊の平安につきます。
1節は人間の知恵に他なりません。
賀川豊彦は「妻も子も取らばとれ、しかし御言葉は別なり」ただその言葉を混じりけなく、御心をくみとること、これが大切。
詩編8:2