2014年7月13日
 マタイの福音書13章47〜52節
題目 「終りの日の祝福」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

 マタイが住んでいた地は、イザヤの預言(9:1-7)が成就する地であった。マタイは預言された救い主・イエスに絶大な関心を寄せていた。
 そのイエスが身近な生活の営みを教材として、終りの日の裁きとその備えを示す。終りの日の確信や譬(たとえ)を話すこと自体イザヤ預言の成就とする(6:9)

 47節「天の御国」とは「神の国の真理」を示す。11節の隠された「御国の奥義」として語る時は「譬」を採用。
19-52節 以下多用された譬
19節 種まきの譬
24節 毒麦の収穫の譬
31節 辛子種の譬
33節 パン種の譬
36節 毒麦の譬の唯一の解釈
44節 宝石商人の譬
45節 真珠商人の譬
44節 地引網の譬
52節 御国の弟子である学者の譬

<譬>は11節 御国の真理は不信仰と高慢には怒りを引き起こす。
 人間の堕落が、神の真理を避け、対立して一致できないから。そのため譬を用いた。奥義とは「隠された真の意味」を示す。そこで10節で、譬で語られる真意を知ろう。
 19節 悟れる時を祈る必要。人の知識や努力に頼れない。人の現実は限りなく、弱い、堕落して無力だ。年齢の問題。若い知識と力はすごいがそれに頼る。 世界の造られた意味と目的も神にのみあることに無知。生まれつき悪魔の子である場合。イスカリオテのユダ(ヨハネ6:70、マルコ14:21b)。パロ王 (出エジプト記8:32、9:12)
 私たちの人生は神の譬そのものに代わり得る。一女性から手紙、私の場合は故郷での体験。へりくだる者のみが、終わりの日の祝福に与(あずか)る。

 詩34:18 主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、霊の砕かれた者の近くにおられる。
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