2014年4月13日
ローマ人への手紙14章7〜12節
題目 「主に生きる」
高橋 善樹 先生

説教(奨励)要旨

 パウロは12章以下でイエス様を信じて救われた者は、どう生きるべきかを勧めますが、14章からは、教会生活のあり方についてです。
 今日の箇所でパウロは、「信仰の弱い人」の人々をさばいてはいけない、共にイエス様を主として生きる人々だからと教えています。
              *
1.「信仰の弱い人」(14:1)をも含めて、広く、私たちキリスト者は、どういう者であるかを改めて覚えたいのです。
(1)私たちの日々の生活、人生の歩みは親しいキリスト者や隣人に影響を与えます。救われた喜びと共に、救われた者の責任を自覚することが求められています(ルカ12:48b)。
(2)「主に生き、主にあって死ぬ者。私たちは主のもの、主に属する者です。」。人にもこの世にも属するものではありません。
(3)イエス様は、私たちに先立って私たちの罪を完全に負われて罪人として死んでくださり、また私たちに先立って死に打ち勝ってよみがえってくださいました。イエス様は、私たちの主です。
(4)私たちはすべて、終わりの日に神様の前に立って審判を受けるとともに、神様をほめたたえる大集会の中に加えられる者です。

2.さばきの罪の深刻さとイエス様の十字架を改めて覚えたいことです。
 兄弟姉妹をさばくことは、イエス様を信じることを許されて、1.の(1)〜(4)を共に生きる方々をさばくことですし、突き詰めれば、イエス様をさばくという罪であることを深刻に受け止めなければなりません。なぜでしょう? イエス様には、「弱い人を立たせることがおできになる」のであり(4節b)、何よりも「神様がその人を受け入れてくださっているのだからです。」(2節b)。
 私たちは十字架のイエス様を仰ぎイエス様の十字架にすがる(詩63:8)以外にこの罪から解放される道はないことを覚えたいのです。

<結び>今週は、受難週(18日は受難日)です。さばく罪を悔いるとともに、私たちのさばきの罪をも完全に負われて、私たちが受けるべき神様の怒りとのろ いを十字架において、私たちに代わって受けられたイエス様を心に刻んで生活してまいりましょう。そして、復活祭(イースター)を迎えたいと願います。ロー マ書4:25。
このウィンドウを 閉じる