2014年3月9日
ローマ人への手紙14章1〜6節
題目 「弱い人を」
高橋 善樹 先生

説教(奨励)要旨

 パウロは12章以下でイエス様を信じて救われた者は、どう生きるべきかを勧めますが、14章からは、教会生活のあり方についてです。今日の箇所は、信仰の考え方について”少数派”の人々とどう交わるか、です。「キリスト者の良心の自由」の深さと広がりをもった勧めです。
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1.教会の交わりにおいては、まずお互いを「受け入れる」ことが大切であることを改めて覚えたいのです。「受け入れる」ことは、<加える>+<受け取る> です。仲間に加えて、神様が与えられた者として受け取るという意味です。「信仰の弱い人」は、信仰が未成熟という意味ではなく、信仰生活の自由の度合いが狭 い、少数派ですが、キリスト者としての生き方に確信を持っている人たちです。信仰の良心に忠実な人たちです。
 この人たちに、多数派の人たちは、自分たちの考え方を押し付けたり、自由な解釈が出来る聖書のことばをひとつの理解に限定するように迫ることを慎まなければなりません。
 教会は、多様な考えと生活を受け入れながら、しかもイエス様のひとつの体として、治められ、統一が保たれている共同体・組織体であることを覚えたいと思 います。それは、「イエス様には、弱い人を立たせることがおできになる」のであり(4節b)、何よりも「神様がその人を受け入れてくださっているのだから です。」(2節b)。

2.「受け入れ合う」ためには、「それぞれが、自分の心の中で確信を持つ」(5節)ことの必要をしっかり自覚したいのです。「信仰の弱い人」も、「なんで も食べられるし、どの日も同じだと考えられる」(2、5節)”自由な人”も、信仰の良心、自分が選んでいる生き方について、確信が必要です。確信は、神様 のみ前にきちんとした申し開きが出来なければなりません。それが「受け入れ合う」ための大切な前提です。確信は、聖書に親しみ、祈り、教会の交わりにおい て養い育てられることを覚えてまいりましょう。

<結び>
私たちは、自分の信仰の良心を確かにすることを願い求めながら、互いの良心を認め合い、受け入れ合ってまいりましょう。
第一コリント9:22、23
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