マタイはイエスが預言された神の子・救い主であることを、自らの目撃体験をもってあかしすることがこの書を著わす目的でした。今日の聖書の個所もその一例でした。
主イエスが救い主として実現する歩みは人の考えの及ばない驚くべき、神の御思いとその歩みがありました。この歩みは、この方と一体とされた私たちの着るべきキリストの衣でもありました。それが、救い主イエスと人間ヨナと呼ばれたペテロの超え難い対立でした。
主イエスが、その時から救い主としての終局の姿を示し始めます。それは民の指導者たちから凌辱を受け殺され三日目に甦るということでした。
ペテロは「主よ。神の憐みあれ!そんなことあなたにあってはなりません。」と、イエスを叱責するのです! するとイエスは「サタンよ。退け。お前は私の邪魔をする者だ。神のことを思わず人のことを思っている。」と一括するのでした。
救い主の理解が異なりました。虐げと苦しみを避けては救い主の歩みは在りません。それは王宮の道ではなく、悲しみと死によって勝利する道です。
「わたしの思いは人の思いとは異なる」と主は言われました。苦しみを割け安楽を思いやる道は人を滅びに至らせる落とし穴だと言われています。
しかし、信仰者には地にも天にも喜びが約束されています。