2014年1月19日
マタイの福音書5章6節
題目 「幸いの源」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

「幸せ」の一般的な意味
し・あわせ(仕合わせ)から来る。巡りあわせ、機会、天運、成り行き、幸福などの意味。
幸(さち) 韓国語の矢(sal)信仰から来る。霊力名=さち(以上広辞苑)
幸(幸福のこう) 「行」に通じる。桁。納まる。形に通じる。

聖書的意味 マタイの2-11に展開。他にルカ、詩編1:1。
幸い 祝福された希望(テトス2:13)第一テモテ1:11に祝福に満ちた。
幸いの理由 神によって義と認められる人の「幸い」ローマ4:6-8。不法を許され、罪をおおわれた人の「幸い」。

マタイの3-11節は人の罪を背負って死なれた主が示された「幸い」の定義。
神が示した最初の形は「神御自身」神に「似せて造られた」ところにある。
神に逆らったことによって、神との交わりを失い正しい基準を見失った。キリストの十字架による身代わりの死によって神との交わりに入れられた。
今、主の言葉、主の身体である聖霊の宮と一体とされた。見える身体なる教会の大切さ、その恵みの仕組みに入れられる幸せを追求すべき。
このウィンドウを 閉じる