2013年12月29日
ペテロの手紙第一1章18〜21節
題目 「終りの時」
高橋 善樹 先生

説教(奨励)要旨

 今年最後の主の日を迎えました。12月は、私たちに、”時”を思わせる月です。イエス様がこの世に来られた時の意味を手掛かりに聖書が教えている”時”について教えられたいと思います。
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1.神様は、一人でも多くの人を救うために”終りの時”を備えられたことを覚えたいのです。”終りの時”のもう一つの理解です。”終りの時”(= 最後の審判の日です。ヨハネ黙示録20:12)は、神様が決められている日です。人には分からず、全く突然にやって来る日です。しかし、神様は、”終りの 日”が、間近であることを明らかにされるとともに、人がそのために備える期間(ひと区切りの時代)を設けられました。それが”終りの時”であり、イエス様 がこの地上に来られたときから始まっています。ヘブル書1:2。
 ですから、”終りの時”はすでに2000年前に始まり、今はまだ”終りの日”が来ていませんが、いつ来てもよい時なのです。
 私たちは、備えが出来ているでしょうか。神様のみこころ(第二ペテロ3:8〜9)をもう一度、確かにしたいのです。

2.神様は、”終りの時”にまことの救い主、イエス様を備えられました。ここに愛があることを覚えたいのです。
 神様は、私たちを救おうとなさって”終りの時”にイエス様を私たちにお与えくださっているのです。神様は、イエス様を信じ、イエス様とひとつに結び合わされ、イエス様を着た者の罪を赦され、義とされて救われています。
 さらに神様は”ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられ”(第二ペテロ3:9b)、ついにそのひとり子のイエス様を私たちに与えてくださったのです。
 ここに愛があります。これがまことの愛です。私たちは、このご愛にイエス様を信じることをもってお答えした一人ひとりであり、このご愛を生活をもって、証し、現わすために呼び出された者です。このことを改めて心に刻みたいのです。

<結び>”終りの時”にイエス様によって救われた者の幸いを感謝しつつ新年を迎えたいと願う者です。第二コリント6:1〜2。
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