2013年12月8日
マタイの福音書1章18〜25節
題目 「正しい人ヨセフ」
高橋 善樹 先生

説教(奨励)要旨

 イエス様のご降誕前夜の出来事です。ヨセフ、マリヤがこの霊的な出来事をどのようにして受け入れ、神様のご計画にあずかったのかを教えられ、まことのクリスマスへと導かれてまいりたいと思います。
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1.イエス様は、神様が地上にまことの信仰者を備えられ、この人々が神様を証する只中にお生まれになったことを覚えたいのです。
 神様は、マリヤの胎の実(ルカ1:42)が、まことの救い主であることを信仰者の証によって宣べ伝えられることをみこころとされました。
 神様は、それ以外の仕方で、マリヤの聖霊による受胎を明らかにされることはありませんでした。ヨセフもマリヤもエリサベツもそして、ザカリヤもそのために備えられたのでした。
 私たちもこの人々と同じに、このみどり子の証のために神様から呼び出されていることを覚え、この人々に連なる者でありたいのです。

2.正しい人ヨセフの神様を疑うことを知らない、無意識とも言える神様への信頼のありかたに教えられたいのです。
 ヨセフは、マリヤが、罪によって、あるいは事件に巻き込まれて身重になったなどとは全く思いもつかないことでした。ヨセフには、マリヤの存在、マリヤと の婚約は、神様のみこころにだけによるという信頼が、意識にも上らないほどの前提となっていたからです。また、夢に現れた主のみ使いとそのことばに従った のも、全く同じことです(マタイ2:13、19)。私たちも神様への無意識の信頼を一つでも多く経験し、たくわえ、幼子の信頼を豊かにされたいのです。

3.この出来事は、私たちが、人として地上に生を受けて生まれたこともまた、霊的な出来事であることを教えていないでしょうか。
 イエス様のご聖誕の出来事は、私たちひとり一人も神様のみこころ・ご計画、お支えとお守りなしには生まれることはないこと、すぐれて霊的な出来事であることを教えています。それゆえに、私たちは、自分を愛し、隣人を自分のように愛したいのです。

<結び>イエス様は、マリヤの受胎という弱く、危ういかたちで、世に来られました。それは人の罪をすべて負うためでした。このことを覚え、ご聖誕を待ち望みたいと思います(ピリピ2:6-8)。
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