2013年12月1日
イザヤ書53章4〜6節
題目 「愛が成就する日」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

預言された救い主の姿

 「まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。ユダヤ人は「救い 主像」を見誤っていた。罰せられ、苦しみを受け殺されるとは思いもよらなかった。「救い主」とはイスラエルを物質的に富める国にする方、力ある支配者と考 えていましたから、イザヤが預言する救い主の姿は考えもつかないことでした。実際に人々は驚いています。(イザヤ52:12-15)

 人々はこんな救い主は救い主かと思ったのでしょう。困難と苦しみは、不安ばかりの強調となり確かさを見失い停滞を招きます。「子がない」ことでアブラムの不安はこの一点に絞られていました。(創世記15:2)

 しかし、苦難の背後に神の愛と救いの約束そのものが記されていました。神が彼を遠い地から招き出したのも、彼に子供と住む地を与えて彼の子孫を祝福する 計画が告げられていたからこそでした。彼はウルの地を出た時は75歳、この時85歳(同16:16)。祝福の約束はどうなったのか。自分を幸せにする子供 の問題を超える永遠のテーマを神は持っている。

 最近の日本の未解決の原発問題、秘密特例法案の論議などに人間の狂気的本性が、欲の皮の突っ張った人間の本性が責任のありかを探している。
 アダムとエバの責任のなすりつけ合いが殺意となる。自らを十字架を見なさい。
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