2013年10月27日
マタイの福音書5章5節
題目 「勝ち負けなし」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

【先回までの主旨】
「教会に来て神を見よ。」と言われて行くと失望するどころか貧しさや悲しみを嘆く人の姿が見えるばかり。だがそこに立つ神を知らないだろうか。

1.キリストは群れの中に柔和な人を見、その人を祝する神からの「幸い」を見ている。
(1) キリストに来る人々は神を見ようとして群れる教会のよう。
(2) その群れは「貧しさ」を知り「悲しみ」を見た人達の内なる叫びでざわめいている。
(3) ユダヤ人こそ、権力や宗教を担う人々の無力さ愚かさと偽善と裏切りに傷付いた民だ。
(4) 人生には貧しさと悲しみで終わらない「幸い」がある。神のみが与え得る幸いだ。
(5) 人が造り出す幸いは地上的で限界が付き物。神から流れ出る幸いは天にまで続く。

2.柔和な者に約束された「幸い」
(1) 真の幸いは、苦難や悲惨などの状況に左右されない絶対的神の祝福。
(2) 神が御顔をそむけることを最大の悲しみとした(詩34:15、16、80:3)
  親しい関係の切望の中で神の厳しい裁きと神の優しさを最大限に体験した民。
(3) 柔和の意味:温順、親切、優しさ(詩37:11) へブル語は謙虚、貧しさ、なやみ
(4) その使用例:心理と柔和と義(詩45:4) しかし、私達は柔和と程遠い(ガラテヤ6:1)。
(5) イエスの実践例:そこに神の示す解決が示されていた。重荷を背負う方(マタイ11:28-30)。
(6) マタイは預言の成就者イエスの神たることを示す(マタイ21:1-9)。 ゼカリヤ9:9の預言

 優しくあれとは、現代人の命題。倍返しのドラマは現代の忠臣蔵か。仕返し、私的裁判には問題が残る。
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