2013年10月6日
マタイの福音書5章3節
題目 「心を満たすもの」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

【先回まで】
「神がいるなら見せてみよ。」の質問にどう答えますか。
1.見えない方が見える姿を取って来られたーイエスが群衆を見て告げる
 (1) イエスの言葉と弟子たち預言者たちによって神を見る。いや見られている。
 (2) 主イエスの身体・信仰者の群れである教会で神を見る。否見守られている。
 (3) この「幸い」概念は人の苦楽を超えた概念。光の残照でなく直接照らす光。人の目はいかに当てにならないか。

【本日の教え】
2.「貧しい」<謙遜な><身を低くする>などの言葉で表わす。
 貧しい=詩69:32 貧しさ、力の欠如、弱さ、必要などを意味する。
それを自覚した者が、自らが「自分ばかりか<人を悩ます>存在」に気づく。
その「心」の状態を知って
<必要>の意味を持つ。健康な人には医者はいらない。自分の病を知る者は幸いなり。いやされる必要を感じる人は幸いを得る!

3.モーセの謙遜 ダビデのもろさと偉大さ パウロの叫びと救い
モーセ 申命記12:3
ダビデ 詩編34:3
パウロ ローマ書7:15-25
弱さの自覚とキリストにある自覚6:4-8

 神は究極の方だから究極の貧しさを悟らせた。そして、キリストの救いの必要を知らせた。キリストが十字架の死に至るまで私たちに代わって虚しくなり、甦って私たちを甦らせてくださった。
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