2013年9月22日
マタイの福音書5章1〜11節
題目 「幸いの源」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

【先回まで】「神がいるなら見せよ。」と聞かれたら、「じゃあ教会に来て」と言ってみよう。神は目では見えない。しかし霊で見ると神の活動が見えて来る。教会は信仰者からなるイエスの身体であり聖霊の宮と言われ,神が住まうところ。

【本日の教え】
1.教会は神からの幸せを持っている
 a.その一例「幸い」の意味は人の発想ではない。
  (1) 幸せがもたらす不安の謎。
  (2) 預言された幸せの成就。
  (3) 単なる「自然の法則」の概念の適用ではない。
  (4) キリストは幸せをもたらす唯一の存在者。
 b.幸いの意味
  (1) 世俗的物質的充足感ではない。
  (2) 争いが「あるない」によって決まる相対的な幸福感ではない。
  (3) 単なる人の精神的肉体的活動がもたらせる「意識」の産物ではない。
  (4) 仏教的意志の同一化ではない。それは自然法則との一体感でしかない。

2.神から来る絶対的幸福観
 a.今も生きて与えてくれる生きた方の一致。
 b.絶対的喜びが伴うものだから責任と義務が大変でも喜びの行為に変わる。
 c.神が最終的に責任を取られることの平安。
   私たちの地上の生活と永遠の御国が一体となる。次元を超えて、現実の世界と一致。神のものは神に、カイザルのものはカイザルに。
 d.愛の実践は最高の高揚。事実神の絶対的な意志への一体化。最高のもてなし。
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