2013年8月18日
マタイの福音書3章1〜12節
題目 「永遠からの足音」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

【先回まで】「永遠の神の存在は論証不可能、だから神は存在しない。」とする神否定論は永遠・超越の概念も愛の事実も、ことば遊びに等しい論理の世界に葬っている。私たちは永遠者の事実も愛も知る聖書を持っている。本日のマタイ伝もその事実を告げる。

【本日の教え】
1.マタイが見た預言の成就
 詩編119:41の<みことばの通りに>「恵みと救い」が来るとの祈りは全人類の祈願。この祈願はアブラハムの子孫が全人類を代弁していた。マタイはそ の祈願への超越者からの答えを告げる。その時意外な人物を紹介する。3:1-3 マタイはその人物とは洗礼者ヨハネだと言う。何故?!

(1) 神の<みことば通りに>預言の成就の事実を目撃したから。
 イザヤ40:3 呼ばわるものの声(6)とは誰の声か。彼ヨハネは何を語ったか(8)。
(2) 同40:9-11 神の到来。人の論証によらない、神自ら関与した歴史的事実を記す。

2.預言された洗礼者ヨハネの出現とその証言
 7-17、預言されたヨハネのキリスト証言と主・イエス自身の証言の力強さ。

(1) 7-11 洗礼者ヨハネは神のことばによる支配と裁きがあることを告げた。7-10 このままでは御怒りから逃れられない。悔い改めに相応しい実を結べ。
(2) 11、12 私はキリストではない。後から来るキリストが聖霊と火で洗礼を授ける。
(3) 13-17 主・イエスが洗礼者ヨハネから受洗された。天から鳩のように下る聖霊を受けた。

3.斧が根元に置かれているほど永遠の神の働きは強烈で明らか
 永遠者は悔い改めるものに神との交わりを許されている。神は歴史に御自身の足跡を刻まれた。主の足音は歴史のただ中で共鳴している。
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