2013年8月4日
詩編119章41〜48篇
題目 「幸いの足音」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

【先回まで】人の真の喜び楽しめる道は「神のさとしの道」にある。人の本質は闇。腐敗し、神からの喜びの道に心を閉ざす。でも神は常に輝く。

【本日の教え】
(1)世の悲しみからの解放の道
 41節<みことばのとおりに>書かれた「ことば」に従って(通りに)「もたらして下さい」と祈る。祈りの対象を見い出している。「それはあなたの恵みと、救い」を来たらせて下さいとの願いである。
 その願いは遥かに高い方への願いである。
彼はこの方の<ことば>に「信頼している」(42節)。そのことばを「真理のみことば」と言い完全に委ねられる<存在の基礎>としている。(43節)この方の「さばき」に期待する。み教えを期待(44節)、求める(44節)。キリスト者も御言葉を見失うと絶望を体験する。

(2)絶望の中の叫びを
 人はいざという時、神の名を呼んでいる。本質的に神を知っている。神は黙っていない。
 相手が「王たち」ならなおさら辱しめは辛らつ。無力さと困難を人間関係の中でこそ体験する。自分の母親に殺される幼児の悲劇。人の悪意なき戯れでも殺される。何処にも平安はない。不安の一つは人間関係から受ける。
 (42節)「そしり」。(46節)「恥をかかせる」は損なわれた関係を示す。神の愛の視点が深くえぐられている。生きる希望を失わせる出来事に戸惑う。先の選挙で人の冷たい反応。

(3)み国からの幸なる足音が聞こえる
 (41節)<聖書に示された約束とあかし> 詩22篇。他にいっぱい。 
  預言(みことばの)の通りに来られたイエス。「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)と言われた。
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