2013年7月28日
詩編119章25〜32篇
題目 「なぜ泣くの」
加藤 正之 牧師

説教(奨励)要旨

【先回まで】人の真の喜び楽しめる道は「神のさとしの道」にある。だが、人は喜びの本質を知らない。人は光を求めず闇を求める。「私たちの目を開いて御言葉にこそある喜びを得させてください。」との祈りからはじめよう。

【本日の教え】
1.人生の涙の理由ー悲しみの事実
25節 <ちりに打ち伏し>魂が塵にまみれ息も絶え絶え。生きていない状態に等しい。その困難は「悲しみのために涙」するほど(28節)。辱しめを受けた形跡も伺える(38節)。何が原因?
26節 <私の道>5、9節の「私の道、自分の道」も共に「人の道」。その道は錆びがつく。「おきてを見失う」(26節)。「悟れない」「思いを潜めな い」(27節)。「偽りの道の混入」(29節)。「真実の道からの離反」(30節)。人は純度を損なう錆びの浸食に気がつかない。

2.人生の回復の道
(1)まず神への祈り
「私の道を申し上げました」(26節)
25節 <私を生かして!>
26節 <教えて>
27節 <悟らせて、思いを潜めさせて>
28節 <堅くささえて>
29節 <私から偽りの道を取り除いて><私をあわれんでください>
31節 <私をはずかしめないでください>
(2)神の答えとその結果
26節 <私の答えてくださいました>「私は真実の道を選び取り、神の裁きを私の前に置いた」(30節)。「神のさとしを守る」(31節)。「仰せの道を走ります」「あなたが私の心を広くした」(32節)。安全な道への解放を得た喜び。 

3.教え
 人生には涙が尽きない。人の悲しみは道を見失ったことによる。その道を見いだすことは困難。人の道は悲しみと混迷の道。しかし、超越者なる創造者からの道がある。イエス・キリストは「私は道であり、真理であり、いのちです」と言われた。(ヨハネ14:6)
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