(序)日本長老教会の設立20周年記念講壇交換に導かれて思うこと。
敗戦後10年の旧日本基督長老教会の創立時の思いは今の教会の歩みに繋がる。今は、ウエストミンスター小教理問答の問5の「ただひとりで、生きた、まことの神」に真剣に仕えることを心に刻む時である。
1.生きた本当の神を生涯の最大の課題として取り組もう。
「一神教」は非寛容、排他的、攻撃的、しかし「多神教」は友好的で寛容だと
言う。人間が何ものかであることを知らないで他を貶(おとし)めることはできない。神を信じない者達が自分の存在が死後も続くようごく自然に祈ったりする。祈るなら
それを聞かれるまことの神に祈れ、死後のいのちを願うなら、それをはっきりと示す聖書に耳を傾けよ。日本の社会は決して寛容ではない。
2.「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(4〜5節)
神の民イスラエルは敬虔な人なら日に2度もこれをとなえ、自分や子供達の信仰を養った。ただひとりの神を愛し仕え、神が生きておられること、自分たちと
関わる方であることを信じた。が、人間の弱さの故に神を忘れたりもした。だからこそ繰り返しこの言葉をとなえた。主は彼らに人を遣わし語り呼び掛けた。
3.「生きた、まことの神」と人の造る偶像との違いは一目瞭然としている。
エレミヤはその書10章で偶像の空しさ愚かしさを語る。恐れるべきは真の神だと告げる。まことの神に頼るしかない。
<結び>
ただひとりの、生きた、まことの神は、天から地を見おろしているだけではない。人は不幸を見て、何故と叫ぶ。しかし、人は神にそむいていることを知らなければならない。神は人が本来の姿に立ち返るよう求めておられる。