そのとき十字架の問題は人生の問題の全ての疑問に答えている。人類に何故死が在り苦しみが在るか、何故争いや災い病気、神の存在や人生の目的の有無など、全ての「何故」に答えてくれるのがキリストの十字架の死です。
まず、イザヤの53:1、2を見る。
1節は 「主の御腕」によるは神が地上に普通の人として遣わされる<救い主>の預言です。
3節 彼は人の悲しみと病を知っており人からさげすまれ尊ばれなかった。
4-6節 彼は私達の罪を負い代わって痛みを受けたのに、私達は彼が罰せられ神に打たれたと思った。しかし、彼は私達のそむきのために刺し通され私達の咎
のために砕かれたことによって私たちを癒されたのだ。私たちは羊のようにさ迷い自分勝手な道に向かって生きていた。そのすべての咎を神は彼に負わせた。
7-9節 彼は痛めつけられたが羊のように口を開かない。彼が裁かれることによって私達の罪のために打たれたことを誰が知ったか。彼は富む者の墓に葬られた。
これを読んだユダヤ人のスタン・テルチンはこれこそ、新約聖書のイエス・キリストであることを知って改心した。この出来事を実際に目撃した百人隊長「こ
の方は真の神の子であった。」と告白しました(マタイ27:54)。 キリストの迫害者パウロは改心して私達の主イエス・キリストによって、神との平和を
持っていますと告白しています。聖書は神の言葉なのです。
私達の苦しみはどこから出ていたのですか。私達の将来はこの神にあって生きて当然です。あなたの人生の目的は何ですか。