2013年3月10日
マルコの福音書10章32〜34節
題目 「十字架を負う使命」
高橋善樹先生

説教(奨励)要旨

 マルコだけが伝えています。「イエスは先頭に立って歩いて行かれた。弟子たちは驚き、また、あとについて行く者た ちは恐れを覚えた。」(10:32) イエス様から溢れ、迸(ほとばし)り出るものは何であったのでしょうか。イエス様の十字架の意味と併せて教えられて まいりたいと思います。

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1.イエス様は、ひとりでも滅びることを望まれない父なる神様との交わりの中から救い主(メシア)として、この世に遣わされたのです。父なる神様のみこころを成し遂げることに与ることの息をのむような光栄と喜びに溢れられたと思われるのです。(ヨハネ17:13)

2.神様に造られた者が、神のひとりのようになり、善悪を知る者となった罪を(創世記3:22a)償うことが出来るのは、誰か。義なる神の厳しさを(ルカ 16:17、マタイ5:28)、そして人の罪深さを知るご自分以外にないことを自覚され、十字架を受け入れられたのです。この使命の心は、十字架におい て、父なる神に見捨てられ、のろわれる苦しみを上回る強さであったのです。

3.父なる神様は、終わりの日(最後の審判)のために備えをする時(終わりの時)を設けられ、ついにひとり子を世に与えられたのです。イエス様は、父なる 神様の義と愛とに基づく救いのご計画の素晴らしさ、ご栄光に打たれたのではないでしょうか。(第一ペテロ1:20、第二ペテロ3:9)。

<結び>
「私の福音」(第二テモテ2:8)”イエス様は、この私のために十字架に死なれ、復活された”。生活の只中で告白してまいりましょう。
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