2013年3月3日
マタイの福音書26章31節
題目 「命を献げる羊飼い」
加藤正之牧師

説教(奨励)要旨

 そのとき、イエスは弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、今夜、わたしのゆえにつまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊の群れは散り散りになる。』と書いてあるからです。「今夜」とは主の「時」を意味します。今夜です。闇が迫る今夜です。
 主はかつて「わたしの時はまだ来ていない。」と言われます(ヨハネ7:6)。 しかし「<あなたがたの時>はいつでも来ている。」と言います(同6)。 「あなたがたの時」は人の自由になる時。悪魔の思いの中にある時を意味しています。真の神の時に束縛されないのでいつでも自分の時です。
 主の言われる時とは何ですか。
 御手の中にある時:「私の時」は御手の中にあります(詩31:13)。それは人の思いを超えた『時」人にはわからない時なので、禍いの時、闇の時と思い 違いされているのです。まさに主が死んだ時がそうです。主を求めているが主が死んだので闇が覆っているのです。人は求めていても見つからないのはこの主を 知らないので別の主を求めているからです。別な主とは誰ですか。暗闇の主人です。人は闇を代えて光とし、光を代えて闇としています。人の欲を満たす闇の神 は人を我儘(わがまま)にして支配するので、真の光に仕えようとする者を罰し、人の世から追放します。しかし、人の子たちは闇の子と光の子の区別がつきま せん。山羊と羊のように一緒に育つからです。神が与えた羊飼いの話を知っていますか。この羊飼いのみが禍からご自分の羊を火の中から救い出してくれます。 羊は羊飼いの声を知って彼に呼び出されるからです。
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