5:5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
5:6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
5:9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。(マタイの福音書)
「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のし
た悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。(第一コリント13章4〜7節)
テーマ:私達に必要な一言「それでも」
1.それでもと言って、新しい歩みを選ぶ
山上の説教は、救われるための方法ではない。弱く、愚かで、醜いまま、愛され、神の子として受け入れられた私達が、名実共に神の子として生きるための”神の言葉”。
「しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。」(ローマ5章8節)
「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(第一ペテロ2章21節)
2.それでもと言って、神の言葉を選ぶ
”神の言葉”と”他の言葉”(1.悪魔 2.人々 3.自分)とは一致しないことが多い。
”他の言葉”は、大きく、合理的で、魅力的。「それでも」と言って神の言葉を選ぶ。
「草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ。」(イザヤ40章8節)
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15章5節)