2013年1月27日
マタイの福音書5章4節
題目 「悲しむ人への福音」
井本祐介伝道師

説教(奨励)要旨

悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。(マタイ5章4節)

 ある金持ちがいた。いつも紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。ところが、その門前にラザロという全身おできの貧乏人が寝ていて、金持ちの食卓から落ちる物で腹を満たしたいと思っていた。犬もやって来ては、彼のおできをなめていた。
 さて、この貧乏人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目 を上げると、アブラハムがはるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。彼は叫んで言った。『父アブラハムさま。私をあわれんでくださ い。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすように、ラザロをよこしてください。私はこの炎の中で、苦しくてたまりません。』アブラハムは言った。『子 よ。思い出してみなさい。おまえは生きている間、良い物を受け、ラザロは生きている間、悪い物を受けていました。しかし、今ここで彼は慰められ、おまえは 苦しみもだえているのです。(ルカ16章19〜25節)

テーマ:キリストの福音は、悲しむ人を慰める

1.地においての慰め
悲しむ人は喪に服する人。最大の悲しみは死。罪による堕落(支配)が悲しみをもたらした。

a)目に見える慰め:生活にもたらされる神の国
罪の支配に対して、神(神のことば)の支配による回復によって喜びを与える。
「まことに主はシオンを慰め、そのすべての廃墟を慰めて、その荒野をエデンのようにし、その砂漠を主の園のようにする。そこには楽しみと喜び、感謝と歌声とがある。」(イザヤ51章3節)

b)内なる慰め:魂にもたらされる神の国
キリストは私たちの受ける悲しみを体験し、共に痛み、共に担い、愛をもって慰める。
「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ53章3節)

「見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28章20節)

2.天においての完全な慰め
地において与えられた慰めは、天においては完全に、そして永遠に与えられる。

「また、神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」(黙示録21章3〜4節)
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