恐れには2種類ある。希望のない状況に陥る時、逆に希望に向かって進む時。1〜17節の系図に見るダビデ王家の没落し中断しさえする失望の歴史だ。しかし18〜25節の王家の面影の失せたヨセフとマリヤに神が賜るサプライズがあった。
<聖書の事実と説明>
1:18〜23)救い主・イエス キリストの誕生は人類の希望の成就。
1)「聖霊によって身重になった」ことが「わかった。」(判明した)驚き。マリヤは受胎直後ユダの町のエリサベツを訪ね3ヶ月を過ごしていた。(ルカ1:39、56)
(エリサベツは祭司の妻でナザレから4、5日のユダの山地に住んでいた。)
2)「思い巡らしていた」20節
「内密に去らせる決意」をした。19節
その理由「彼が正しい人であって」「さらしものにしたくなかったので」「申命22:22〜24」の律法に従って、人の前で姦淫の罪として裁けるか。
内密に去らせる。離婚の律法に従う道(5:31、19:3〜9)不貞でも赦す道。それではマリヤの受胎を不貞と定めたことになる。
3)主の御使いの説き明かし。聖霊による真実の道(20)。イエスの命名・救い主(21)
神の預言の成就。だから、恐れないで! 主と共にある間違いのない道。
<ここからの教え>
1)「できれば受胎もなくこの幸せのままであればいいのに」とするなら、波瀾もない人生で終わる。神の使命に生きることのない幸福至上主義。
2)神の救いの計画を担う人生こそ最高であり、人類全体が担うべきもの。
3)天の御国の真理こそ、最高の現実。悲しみの涙は無いが喜びと感動の涙がある!