2012年9月9日
伝道者の書 12章1〜8節
題目 「あなたは、いのちを選びなさい」
高橋善樹先生(所沢聖書教会教師試補)

説教(奨励)要旨

 伝道者(コヘレート)は、旧約イスラエルの民を招集し、礼拝を導き律法を教える教師です。伝道者は、人を決断へと 招いているかのようです。神を認めず空しく生き、死にますか、それとも神を信じて、神が与えられた永遠(3:11)に行きますか、とです。12:7,8を 中心に、イエス様の福音の光の中で教えられてまいりたいと思います。

1.まず、私たちは、神が人を創造された真実を受け入れる誠実さを愛し、大切にしたいことです。

 人が、ちりで造られたことを信じなくとも人は死んで土になり、ちりに帰ることは、認めざるを得ない事実です。また、人は、良心を持ち、自分探しをし、生 きる意味を問う、他の存在とは異なる自由な存在であることもまた、動かし難い事実です、しかし、神を信じない人は、死んでちりに帰る空しさの事実も、他の 存在とは異なる自由な存在である事実をも受け入れません。いや受け入れられないのです。
 自分が、ちりに帰り、初めから無かったとどれだけ違うのかという空しい事実を見つめて、引き受け、日々に生き続けることは出来ないからです。その事実から目をそらし、忘れて、あるいは諦(あきら)めて生きることになります。
 また、自分は何者なのか、どこから来てどこへ行くのか、どう生きれば良いのか、答えの出ない問いを続けることが出来ないからです。そのようなことは、現 実の生活に役に立たないことであり、答えがなくとも生きていけることとして、他の存在とは異なる自由な存在であることを放棄して生きることになります。
 認めざるを得ない事実から目をそらさずに見つめ、誠実に認めることが出来るのは神を信じ、救われた者だけです。神が人を造られた真実(信仰の事実)を受け入れることが許された者だけであることを覚えたいのです。
 そして、神を信じ、救われた者は、人の事実(ちりにして自由な存在)をはっきり語り、また神の創造の真実(ちりに霊を吹き込み生きものとされたこと<創世記2:7>)を証言する使命を負った証人(あかしびと)なのです。
 私たちは、このことに感謝しつつ、神が人を創造され真実を受け入れる誠実さを愛し、さらに大切にし、証人の使命に生きてまいりたいと願う者です。

2.次いで、私たちは、神の霊をかたく信じ、神の霊とともに神に帰ることをさらに確かなものにされたいことです。

 伝道者は言います。人が神の霊を信じ、その霊を受け入れなければ、神の霊とともに神に帰ることは出来ない、空(むな)しくちりに、地に帰るだけであると。
 しかし、神のみこころにかなうように神を信じ、その霊を信じ、正しく受け入れていると神様に認められること(=義とされること)は、神の力による以外に ありません。人の側から神の義に至る道は全くありません。義なる神のひとり子、イエス様を信じることだけが、義とされる道です。
 「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ14:6)
 私たちは、神のひとり子なるイエス様を信じ、受け入れることにおいて神の霊を受け入れて、神の霊とともに神に帰ることをさらに確かなものにされたいのです。

3.三つ目。私たちは、死を思い、終わりの日を覚えて、神を信じることを選びとることを確かにして、今を望みに溢れて生きる者でありたいことです。

 伝道者は、ちりである人が死んで地に帰ったその先のことには、全く触れていません。すなわち、人は、終わりの日に、一人ひとりが、神の前に立ち、裁きをうけること(黙示20:12−14)については黙しています。
 ですが、伝道者は、創造者を覚え(12:1)、神の霊を信じ、受け入れる者は、霊とともに永遠の神に帰るが、そうでない者には、空しい永遠の死が待つだけである。あなたはどちらを選ぶのか、と秘(ひ)めたかたちで問うていると思えるのです。
 イエス様以降の「終わりの時」(第一ペテロ1:20。「終わりの日」に備える期間。イエス様が来られた時からこの時は始まっている)に生きている私たち は、やがて来る、死と「終わりの日」を常に覚えて、イエス様の十字架と復活を選び取り、死と「終わりの日」のさばきから救われている者であることを覚えた いのです。それとともに、その救いが、すでに成っていることとして、今、受け取り、日々に、まことのいのちに溢れて、生きている者であることを覚えたいの です。そして、このまことのいのちを感謝しつつ、証し、伝えつつ、残された生涯を生き続けてまいりたいと思います。

 最後に申命記30:19〜20を読みます。

モーセ「私は、きょう、あなたがたに対して天と地とを、証人に立てる。私は、いのちと死、祝福とのろいを、あなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさ い。あなたもあなたの子孫も生き、あなたの神、主を愛し、御声に聞き従い、主にすがるためだ。確かに主はあなたのいのちであり、あなたは主が、あなたの祖 先、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると誓われた地で、長く生きて住む。」

以上
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