2012年8月12日
使徒の働き 3章1〜23節
題目 「人間主義は正解か」
加藤正之牧師

説教(奨励)要旨

1〜9節
 「人間主義的」な理解では、不幸な生まれをもつ人を仲間の美談的な行為が報われて、ペテロたちのキリスト信仰に立つ行為が、不幸な人生から救い出す奇跡を生んだか。聖書は単なる人から出た愛が無限の可能性を持つと言っているだろうか。

11〜12節
人々の解釈と解決:気の毒な重荷を負った人。一部の人の解決は福祉的援助(2節)、逆転利用。他は彼の普段の生活を知っている(10節)が傍観的。戸惑うだけ。

本人の解釈:生まれつき、足なえ。運ばれ置かれる人生。運命的、機械的人任せの人? 立場の利用。集金マシンの人生で満足か。しかし神を賛美できる人、宮にも入る!

ペテロの彼らに対する観測:人の持つ信仰の可能性のせいにしていると看破している。

13〜16節 ペテロの解釈(聖書の立場、聖霊の語らせる神の解釈)
 13〜15:あなた方は父祖達の神の子イエスを、罪もないのに殺した。
 15:しかし神はこの方を甦らせた。私達はその証人だ。地所や家まで売って代金を必要に応じて分け与えた。
 16:イエスの御名を信じる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全な身体にした。

17〜23節 ペテロは今後の取るべき態度を宣言した。
 17〜18:無知のための行為を認めながら、神の預言が成就されたこと。悔い改めを迫る。
 19〜23:やがて単なる知識で終わらせるのではなく、預言にもあるように、終わりの日が来る。イエスは天に留まり定められた時が来ます。だから、滅ぼ されないように悔い改めよという。誰でも人の同情によって神は裁きの対象を決めているのではない。神は最高の考えで決め、終わりの日を遂行される。救いの 道・キリストの否定は永遠の裁きを招く。

「私に金銭はない」の宣言で終わらず、キリストの名によって歩くあかしを鮮明にすること。
このウィンドウを 閉じる