<1> 復活の事実の証言 36節「これらのことを話している間」
エマオから二人がエルサレムに戻った。集まっている11使徒と仲間達は何を話していたか。彼らは「主はシモンペテロにも現れたこと」(34節)で「主は
本当に甦って」と言う。この言葉はそれまで「本当でない」と思っていたことを示すではないか。つまり、誰かの証言を疑っていた。そう、女達の証言、それを
「たわごと」と言っていたのは誰か。その彼らが、、、。そこへ昼にエマオに去っていた筈の二人が、その日の夜には息せきって帰ってきた。女達の話は本当で
したどころではなく、「道々話し、イエス様と一緒にパンを食べた」ことまでつけ加わった。
そうして話している最中にイエス様が「真ん中に立たれた。」手足を見せ「触りなさい」と言う。魚まで食べて見せた。
疑っていた人々が最初の証言者の証言を認めたこと、互いの証言を認め合うようになったこと。ところで、まだ、「疑う人達がいた」と言う事をどう思いますか。
他の証言を見よう。第一コリント15:5−8
<2> 復活の力 失意の人生の真っ暗闇に光が輝いた。キリストの起源
1.復活を中心教理に置いている。同15:3 宣教の根拠であり動機である。同15:14でパウロは「死人のためにどうしてバプテスマを受けられるか。」と述べている。第一コリント15:29
2.救いの力また根拠 ローマ10:9 今日も言葉人を甦らせ悪から立ち返らせる力である。
3.墓の番人達が状況証拠を提示する。マタイ27:54
4.キリストの勝利の輝き マタイ27:40 完全な死からの復活