2013年01月08日
詩篇97篇10〜12節
題目 「光は蒔かれた」
加藤正之牧師

説教(奨励)要旨

 先週の礼拝で「新しく」なるとは、日々神にあって生き、「永遠者」からの輝きが内から放たれることであることを知った。「新しい事の特徴の一つ」は輝いていること。神の被造物は輝かせるために用意された神の計画にあずかれば輝き始める。

<10節>「主に愛され愛する関係に生きよ。」神の計画にあずかる一歩がこれだ。
悪を憎めと言われるのは主が取り囲む闇の世界を義をもって裁く王だから。(1節)
人は自己の生きざまを義の基準とする争いに生きて死ぬ。人生は悪に満つ。悪を憎めと言われても闇の王たちが私たちを襲うだろう。
 しかし主は聖徒達の命を守られるし、悪者どもから助け出される。何が正しいかは主に属する。自己の生き方を弁護するあらゆる偽善は神が裁かれる。主の義が告げられるとき、誰がこれに勝ちうるか。権力者か。偶像か。

<11節>光は種のように蒔かれている。正しいものとはだれか。闇に生きる者は光を憎む。彼らは光に来ようとはしない。光の子たちを迫害する。しかし、心に蒔かれた神の御言葉の光と聖霊の導きがあなたを勝利者としている。

<12節>正しい者達には真の喜びがある。その生涯は金の大河の流れのように天に注ぐ。聖なる方を覚えよ。その時、あなたはその輝きをさらに新しくする。

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