2011年11月13日
創世記15章8〜14節
題目 「開放のひかり」
加藤正之牧師

説教(奨励)要旨

 アブラハム改名前はアブラム、妻サラはサライと呼ばれていた時のこと、サライは不妊の女と言われていました。二人は甥のロトを伴って主の約束するカナンの地に向かったのはアブラム75歳、サライは65歳でした。その時から10年が経過しようとしていました。
 神がアブラムを導いたのはアブラムを大いなる国民とし祝福の基として、カナンの地を所有地として与えるとのことでした。12:1〜3、12:7、13:14〜17、15:1〜8。
 しかし、そのことをどうしたら知ることができるかの問題が彼にはありました。そこで示されたことは、9〜10節の契約の儀式でした。これによって神自ら神の示された約束は必ず守るという確実さを強調するものでした。守らないものはこの引き裂かれた動物のようになることを意味していました。
 13〜21節は約束の実現には時間が必要であること、砂のような孫となる時間と神の意図と受け継ぐ者にふさわしい内容が必要です。神は人を用いて神の栄光をあらわすのです。苦難の連続の中で人は神に利用されているだけと勘違いすることがある。プログラム優先も事の本質を見失う。
 神の愛の視点に立つとき私たちを開放する光を見ることができる。

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